恋にうつつのCrazy

神山智洋くんを全力で応援しています。

弾丸ツアー第二段。東京行って来ました。

滞在時間、先週より短かった(笑)。

あ、国立小劇場で観てきた「象」は、ひとことで言うと凄く怖かったです。

怖いって言う表現も決して適切ではないと思うのだけれど、他に言いようがなくてもどかしい。

小学校の時に先生から「"かわいそう"という感想は書いてはいけません」と言われた事を思い出したし、毎年お祭りの時に曲がり角にいた義足の人の事も思い出した。

吾郎ちゃん演じる「男」が「病人」にまくし立てる2幕の台詞が辛くて、凄く考えさせられる戯曲でした。

移動と観劇で座り続けてただけなのにしんどいんで(多分気持ちの問題)、明日また追記します。

最近根性ナシだなぁ…。

公演始まったばかりなので、ネタバレ含む追記は続きに書きました。

吾郎ちゃん主演の舞台だから、という動機で観に行ってしまった事を激しく後悔する舞台でした。

もちろん、行こうと思ってからどういう内容なのかは調べて、それなりの覚悟で臨んだ観劇だったんだけれど、それでもちょっとだけ浮ついた気持ちはやっぱりあったんだよね。

そんな気持ちが一瞬でぺしゃんこになる戯曲でした。

「象」は、原爆投下後しばらくしてからのお話です。

設定としては、被爆者以外は原爆の傷痕を忘れてしまい始めた頃、なのかな。

舞台になっているのは病院の一室。

背中にケロイドを持つ被爆者の「病人」の男は、発病して病院に入院している。

そこに同じく被爆者である甥である「男」がやって来る。

「病人」は、自分の背中のケロイドを皆に見せて、拍手喝采を浴びたいと思っている。

そして、静かに死んでいくよりは、いっそ誰かに殺されたいと思っている。

そうして情熱的に生きたい、そう思っている。

けれども「男」はそれを良しとしない。

自分たち「被爆者」は、誰からもいじめられたり気味悪がられたりはしない。

だから静かに、目立たず、ひっそりと生きそして死んでいきたい、否、そうしなくてはならないと思っている。

少し身体が良くなったら、また街角でケロイドを見せたいと思っている「病人」を「男」が説得をする、というお話です。

…そういうあらすじを読んでから観に行きました。そして確かにそういうお話でした。

けれども、受けた印象はもっともっと重い重いものでした。

実際の戦争の場面はこれっぽっちも出てきません。

戦争がどうとか、原爆がどうとか、そんな直接的な場面も話もありません。「病人」がまだ発病する前に原水爆禁止大会の演説をした時の話や、ケロイドを見せていた話をするだけです。

そんな風に、グロテスクなものを見せられたワケではないのに、子供の頃に学校の平和学習で見た、原爆投下直後の実際の焼け野原と燃える人間や、ケロイドの皮膚の映像が浮かんでしまったりしました。

えぐるような、という表現ともちょっと違う。

むしろずるりと剥き出しにされるしんどさ、なんだけれど。

誰しもがきっと処世術として持っている偽善を全部目の前に並べられて、いかにモノゴトを偽善的に見ているかを晒される感覚がしんどかった。

自分が被害被った当事者でない場合に、実際どうなのかという事なんて実はこれっぽっちも実感できなくても慰めようと、「うん、わかるよ」と言ってしまう時の気持ち悪さ。

そして何らかの被害者を見て比べて「ああ、自分は幸せだ」と下に見て思ってしまうような部分までもずるりとむき出しにされている居心地の悪さ。

「男」が最後に、どうしてもケロイドを見せにまたあの街角に行くと言って聞かない「病人」に、叫ぶように「そんな事をしてはいけないんです。じっとして、静かにしていなくちゃならないんです」と説得する場面があるんだけれど、ここが本当に辛くて辛くて。じわじわこみ上げて泣いてしまった。

そうしなくてはならなくなったのは確かに原爆のせいで、だけど「そうしなくちゃならない」と思い込ませたのは終戦後の被爆者に対するある種の特別扱いで、ケロイドを見せたい「病人」は自分がかわいそうな被害者であることを武器にしようとしているようにも見えて、だからやっぱり「男」はそんな風にケロイドを見せることはいけない、と言う。

だけど、被爆者に「静かにしていなくてはならない」と思わせ、他の選択肢を奪い取ったのは戦争ではなく実は世間で、世間とは自分も含まれたこの世界の人々全体だ、というしんどさ。

何が悪くて何が原因なのか分からないけれど、結局多角的にモノゴトを見ることは個では無理だよね、って言う人間のエグさがもうどうにもならないくらいしんどくて、正直思いつめたらヤバいよねこれ、と必死に無限ループから這い出すんだけれど、そうしたら考えないようにするという罪を認めないといけないよね、と思うんですよ…ま、考え過ぎかもしれないですが。

後半の演出が非常に怖くてですね、「病人」と「男」が話しているところにストップモーションで医者・看護婦・白衣の男・通行人・病人の妻、が出てくるところなんて発狂しそうなくらい怖かった…。あんなに怖い思いをしたのは、芝居では「鈍獣」以来でした…。精神的にやられる感じ。

あと、最後の最後の場面も本当に怖かったんだよね。

セット転換はなくて、舞台上におびただしい数の洋服が敷き詰められているんだけれど、それが屍が重なり合っているように見えなくもなくて、そう思い始めたら本当にそう見えてきちゃうので結構参りました…。

あと、看護婦役の奥菜恵ちゃんが、子供服ばかりを手に取っているのが痛々しいんだよな。

今回、大杉漣さんのお芝居をナマで観られたのは、本当に贅沢でした。

あの狂気が全部芝居だなんて…という程に、もう錯覚してぐいぐい引き込まれて、本当に怖かったけれどね…多分、しばらくは大杉さんの姿を見るだけで恐怖感を感じてしまいそう。やばい、サムライ転校生見られないじゃん!(笑)。

そうそう、吾郎ちゃんがカーテンコールの最後にふっと微笑んだのが観られて凄くほっとした。

ああーよかった吾郎ちゃんだ!って、今までのどの舞台を観た後よりも思ったかもしれないです。

色々と考えさせられるお芝居でした。たまにはこういうのもアリかな。

ずっとこんなだとしんどいので、次はザッツ・エンターテイメントなものに触れたいです。←結局微妙に沈んでいる模様。